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☞ 別巻記事 現実になりそうなUFOの話 ー 会員専用ルーム/投稿(会員限定公開)(5/27)


 

 

 

新 四 季 雑 感 (号外)

樫村 慶一

 敗戦(敗戦と終戦の意味の違いは:註1)の年から80年目ということで、本来なら屈辱の年として数えるべきが、なんだか民主主義国転換80年目みたいな、お祝い錯覚を起こさせるような、世の中マンマンデーなノーテンキな風潮です。
 振り返ってみれば、日本の、世界の風潮は、ベルリンの壁がこわれて、ゴルバチョフさんが出て来て、これで地球には永遠の平和が来るように思ったものです。それからたった30年少々で、暗黒の世界になってしまいました。短い平和だったと思うんですが、福島の東電の廃炉が30年はおろか、50年以上もかかりそうなことを思うと、こっちは長いなあーと思います。いずれにせよ、確実なことは、私は絶対に生息していないということです。
 前置きがながくなりましたが。こんな時代だからこそ、話題性が大きいと思う”たわい”のない話、さりとて、ヘーと思う話を2題ご披露します。

 一つは、1943年10月20日の神宮外苑での学徒(註2)出陣式の話

fig_rev
1943年11月13日に挙行された
立教大学主催の学徒出陣壮行会
立教タイムトラベル」から

 この日集まったのは各大学の文系で20歳以上の学生でした。
 立教出身の方は先刻ご存知でしょうから、そっぽをむいていてください。

 立教の校旗は、十字架を少しモディファイしたものです。これを見た主宰の偉い軍人が、敵国宗教のシンボル十字架の旗はけしからん、と難癖をつけた。すでに会場に整列している立教の生徒はどうすることもできない。結局どこから調達したのか、降伏の印である白生地を旗竿に結わいつけて行進したということです。
 無知な軍人の偏見により、戦わずしてすでに負けていたという、今でも聞いて涙が落ちる話です。

 二つ目は、英国3枚舌の話

 大戦後、英国がイスラエルを建国させると約束しておきながら、手に負えず国連にまかせた、と言う英国3枚舌の話を知っている方も多いでしょう。
 そのとき、新たな建国先として、アルゼンチンが候補地に挙げられていたことを知っている人はどのくらいいるでしょうか? もし、幸か(パレスチナ人やアラブ人にとって、いや全世界にとって)不幸か(ユダヤ人にとって)実現していたら、アラビヤ地域には第一次中東戦争以降の戦争もないし、今でも少なくとも、箱根の大涌谷みたいに年中煙を出しているような、暑い土地ではなかったと思います。アルゼンチンに住んでいた私などは、イスラエルが好きになっていたかもしれません。
 小説ではない真実の話の結末というのは永遠にわからないものですね。真相はイスラエルがいやがったとか。  

Fin

(註1)敗戦:鉄砲を射ち合って片方が負けたと思ったときに白旗を掲げて降参する。これが敗戦。この後、今後の条件など話し合う儀式が終戦、ということだそうだ。

(註2)学徒:1943(昭和18年)大学、中等学校は全部卒業が1年繰り上げられた。大学生を「学生」、中等学校(普通、工業、商業等)専門学校などの生徒を「生徒」と呼び、両方あわせて学徒といった。


 

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新 四 季 雑 感 (30)

樫村 慶一

1日は なぜ24時間 なのか?

 時の記念日はとっくに過ぎたが、暑さ凌ぎにちょっと一服して、普段は思ったこともないだろう、「時」とかそれに付随する「12進法、60進法」についてちょっと考えてみよう。

 生活に使う数字は殆ど10進法だが、毎日無意識に誰もが使う、時間の12進法、60進法は、他にない単位なのに特に違和感を感じないで使っている。
 なぜ、このような計量単位が生まれたのだろうか。
 歴史によると、古代の人々は身体の部位を基準にして計量の単位を築いてきた。指を折って数を数えただけでなく、身体の部位をモノサシに使っていたのだ。例えば、親指の幅(インチ)、こぶしの幅(パルム)、親指と小指を張った長さ(スパン)、ひじの長さ(キュービット)、足の爪先からかかとまでの長さ(フィート)などなどである。
 モノサシなどがなかった時代には、ものの長さを測る場合に、まずは親指を当ててみて、より長ければこぶしに代えて測るとか、こぶし何個分とか、足の裏の長さの何個分といった測り方が一般的だったようである。しかし、時間の体系では身体の部位の寸法を当てはめて計るわけにはいかなかった。

 「分」「時」「日」の時間や角度の測り方は、紀元前15世紀頃にチグリス・ユーフラテス川流域で生活を営んでいたバビロニア人によって体系化されたと伝えられている。
 人類は月の満ち欠けが約30日(29.5306日平均朔望月という)のサイクルで繰り返され、それが12回で再び同じ季節が巡ってくることを知っていた。1年は、365.2422日である。「1年」を「平均朔望月」で割ると、12.37ヶ月になる。12か月か13か月になるが、12の方が割り切れる数が多く便利なので、12か月になった。
 要するに、地球に同じ季節が再び巡ってくるまでの時間を、太陽を元に計るのと、月の満ち欠けの回数で計るのとの違いである。

 バビロニア人は、太陽が地平線に顔を出し始めてから、完全な姿を現すまでの時間(約2分)を一つの基本単位とすると、この単位を720回数えると一昼夜が経過することに気がついた。そして、この数字を60で割ると24になり、この一つの単位を「時間」と称し、24時間が一日の長さになった。したがって、天文の分野では12や60が重要な数字として認識されていたのである。(2分x720=1440分,1440分÷60分=24時間)。
 当時のバビロニアで使われていたシュメール数学では、数の区切りの単位として十二進法や六十進法が多用されれていた。

 角度の1度を円周の360分の1とする考えは、太陽が天空を1周するのに要する時間(日数)を基礎にしているといわれる。360も約数が多く、さまざまな場面に利用できるので便利だったためだった、というわけである。時間単位の源は、明確ではないが、時間の計り方は天文分野との関連を深くもちながら発展した。
 一般人の日常生活では、細かい時間を規定する必然性は少なかったのだが、天文分野では細かい時間だけでなく、全体の体系を定義する必要があったからである。

 シュメール数学とは、バビロニアの前にこの地で文明を開花させたシュメール人が編み出したものである。
 シュメール人自体はもともと移民としてバビロニアに移住したもので、祖先はよく分からないのだが、温和な民族で根気強く、湿地帯を乾かし農耕の習慣をつくり、貿易を発展させた。都市には壁を築き、車輪のある乗り物まで使っていた。さらに、くさび形文字、ろくろ、数式、最初の法律、踏み車、ブランコ、ハンモック、ボール・ゲームなども発明している。
 シュメール人が十二進法や六十進法に固執した理由はまだ解明されていないが、親指を除く手の指の関節が12あることに着目して数を数えていたという説が強い。 

 時間と分が六十進法で、年と日が十二進法で組み立てられることによって、1年間を秒に換算すると、60秒×60分×24時間×365日で、3153万6000秒となる。現代の数学から判断すると”進法”に一貫したルールがないように思えるのだが、古代バビロニアで暦や時間体系を決めるにあたっては、数学、天文学、占星術など、当時のあらゆる学問・知識を総合的に考えて決定されたのだろうと推測できる。
 全く意識しないで使っている1日24時間制に、何故という疑問を持つ人は誰もいない。もし、時間の単位とその発祥について、ちょっとでも関心を持ってもらうと、フーンという思いがするであろう。

時計の文字盤はなぜ12時間制なのか?

fig1
フィレンツェ大聖堂の時計(イタリア)

fig1
塔時計と天文時計 
ハンプトンコート宮殿の天文時計
(ロンドン郊外)


fig1
サンマルコ時計の文字盤 
ベンツィア サンマルコ広場の時計塔
(イタリア)


 時計の文字盤は12時間制が当たり前のように思われているが、欧州、特にイタリアの古い掛時計の文字盤にはさまざまなバラエティが見られる。

 一つは24時間制の文字盤で、24時(XXIIII)が文字盤の真下にくるのが奇異であるが、太陽が南中する正午を真上に配置したので、そのような表記になった。フィレンツェの大聖堂の時計などである。

 二つ目は午前の12時(XII)と午後の12時が文字盤の左右にそれぞれ表示されている24時間制のパターンである。
 ロンドンのハンプトン・コート宮の天文時計などであるが、日時計の概念を忠実に守ったものと思われる。(写真の時計は12時が上下になっている)

 三つ目は、数字の代わりにゾディアック(十二宮=太陽、月、惑星が運行する仮想の球体上で、太陽の黄道を中心とする帯域を、十二星座に分けたもの)を文字盤に配したものである。
 変形として数字との組み合わせ(サンマルコ広場の時計)もある。

 四つ目は数字をIからVIまでの6つでレイアウトしたもの。
 シンプルで良いのであるが、目盛りとしては粗すぎてデザイン的に持たないので、間に何らかのマーキングを挿入している。(ローマの時計広場の時計など)。

 なお、この時代の針は、「時間の示す時針」だけの1針しかなかった。

 これらの文字盤は、デザインとしての流行も反映していた。
 イタリアでは17世紀後半に、文字盤を6刻みにするのが流行していたようで、当時ヴェネツィアで出版された時計の本には、「6刻みにするのが当世ローマ風である」と書かれている。ところが1世紀も経たないうちに流行はまた変わって、18世紀末のローマでは、12刻み2本針のスタイルへの改造が盛んになった。
 ちなみに、流行が変化した背景には、機械式時計が進歩して精度が上がったために、文字盤に分針をつけられるようになったという技術的な要因もあったのだ。

 終電車の時間を気にしたりする人、放送局の人、ご臨終が切迫した人の付き添いの人達などを除いて、普通は時間の単位やら秒針の進む速度などは日常は全く気にしていない。これが大昔の人々の知識の結晶であることを考えると、今は文明の影もないチグリス川ユーフラテス川流域付近の先祖の人の偉大さを改めて感じる。

おわり

*参考資料:インターネット検索資料 織田一朗「時計の科学」


 

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(更新:2025年3月13日 16時52分)
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