悲劇の王妃M・Aのティー・タイムをご紹介いたします。肖像画をご覧になりながらM・Aのティー・タイムをのぞいてみてください。フランス・ブルボン家へ輿入れするまでの概略からご案内いたします。
1.愛娘を犠牲に
M・Aもハプスブルク帝国の輝かしい未来のために、フランス王室に輿入れした犠牲者だったことはいうまでもありません。フランスとオーストリアは15世紀以来の敵国同士。いわゆるマリア・テレジアの「外交革命」により、1770年、14才の皇女M・Aは敵国にひとり嫁がされました。300年以上にもおよぶ二国間のわだかまりが、この結婚で解消するなど不可能なことはわかっていたことでしょう。母マリア・テレジアはフランス王妃となった末娘M・Aを心から案じていました。そのため女帝が死去する1780年まで、母娘の往復書簡は10年もの間ずっと続き、母は王妃としての言動について、こと細かに娘に指南し続けました。しかしフランス国民の憎悪のターゲットとなって1793年、ギロチン台に果てたのです。
2.宿敵フランスとの同盟
なぜマリア・テレジアは誕生して間もない女児M・Aに、フランス王妃となる運命を背負わせたのでしょうか。その原因は「オーストリア継承戦争」にあります。もしこの戦争でオーストリアが勝利していたなら、M・Aの運命も異なる方向に展開していたにちがいありません。「オーストリア継承戦争」ではプロイセンだけでなく、フランス、スペイン、さらにドイツのバイエルンやザクセン選帝侯(皇帝を選出する権利をもつ諸侯)までもがオーストリア・イギリス連合軍に戦いを挑んできました。このころフランスとイギリスとは、海外での激しい植民地争奪戦を繰り広げており、両国の関係が「オーストリア継承戦争」や、のちの「七年戦争」(1756-63)にまでもつれこみました。「七年戦争」ではイギリスがプロイセン支持にまつわったことで、女帝はオーストリア宰相カウニッツ(1711-94)の進言に従い、これまでの宿敵フランスと同盟関係を結ぶことにしました。この友好関係の証として、まだ歳足らずの赤児M・Aを将来フランス宮廷に送りこむことを、女帝はフランス国王ルイ15世に約束したのです。
3.キプフェルン Kipferl Kipfel
M・Aがフランス王室に持ち込んだのが「キプフェルン」のレシピでした。フランス語で「クロワッサンcroissant(三日月の意)」 クロワッサンはオーストリア生まれのパンです。バターや卵、砂糖などが入った菓子パンは、ヴィエノワズリ(ウィーン趣味)と呼ばれて人気でした。オーストリアではこれらの菓子パンやイースト菓子もメール・シュパイゼ(粉を使った料理やお菓子)の一つで、食事としても食べる習慣がありました。M・Aが好んだキプフェルン。その誕生にも、歴史的秘話が残されています。1529年と1683年の2回に渡り、ウィーンはオスマン・トルコ軍による攻撃を受け、陥落寸前まで追い込まれました。キリスト教国のなかでもっとも東に位置するウィーンは、トルコにとって是が非でも陥落させたい魅力的な都でした。怒涛のごとく押し寄せるトルコ軍。その軍旗に描かれていたのが、三日月だったのです。ウィーンのパン職人が「トルコ軍憎し」の一念で、三日月にパン生地を巻いて作ったのが「キプフェルン」の原型とされています。これを火に入れて焼くことで、憎き敵の征服をイメージしたといいます。
4.「ル・アモー」でのティー・タイム
M・Aは豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿を好まず、小トリアノンの近くに「ル・アモー」(小さな村の意)と呼ばれる12の農家群れを作らせ、ここで動物たちの世話をしながら、懐かしい故国に思いをはせていました。このときのティー・タイムには、オーストリア菓子のキプフェルンやグーゲルフプフがM・Aの心の慰めになっていました。ハプスブルク家のキプフェルンには、クルミや黒いケシの実をまぶしたものが多いです。M・A時代のキプフェルンはバターの含有量が少ないが、形は現在とほぼ同じでした。バターが充分使えるようになるのは19世紀中頃の皇妃エリザベート時代からです。ウィーンでは、パンのクロワッサンだけでなく、三日月型の焼き菓子も広く「キプフェルン」と呼ばれています。パンのクロワッサンがパリに登場したのは、1906年になってからのことで、それほど古い話ではありません。
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ル・アモー ☞ 画像をクリックすると大きく表示します。
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フランス国民の怒りを買ったM・Aの台詞「パンが食べられなければ、お菓子を食べればいい」 この「お菓子」とは、今日のブリオッシュ brioche のことだとされています。ブリオッシュは18世紀の大食漢王だったポーランド国王スタニラス・レグザンスキーが好んだ「ババ」 baba というお菓子の原型となったことでも有名です。王位から追放されてフランスのアルザスに亡命したレグザンスキーは、ラム酒入りシロップに漬け込んだブリオッシュ「ババ」を非常に好みました。因みにポーランド国王は、フランス国王ルイ15世妃マリー・レグザンスキーの父。ババはフランスでも人気となっていきました。
ババとはフランスやイタリアのナポリの名物となっている焼き菓子の一種です。イースト菌の発酵作用で膨らませた生地を円環形もしくは円筒形の型に入れて焼き上げ、ラム酒風味のシロップをしみ込ませたケーキとなっています。ワインのコルク栓(ブーション、bouchon)に似た形状から、ババ・ブーション(baba bouchon)とも呼ばれるようになりました。
5.グーゲルフプフGugelhupf
M・Aが好んだグーゲルフプフは、今日でもオーストリアを代表するケーキの一品です。オーストリア皇帝フランツ一世をはじめ、皇帝フランツ・ヨーゼフ、皇妃エリザベートなど広くハプスブルク一族に愛されました。このケーキの歴史はかなり古く、2000年前のローマ遺跡のある町カルヌントゥムから発掘された青銅製のケーキ型がそれを物語っています。大浴場や円形劇場もあった古代ローマ時代の重要な町でした。ここから発掘されたクグロフ型は現代のものとほぼ同じだといわれています。なかに入れる材料によってさまざまな種類があり、今日でもウィーンでは、日曜日の朝食やカフェでのおやつには欠かせない一品です。
(2026.1.2)